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広次 忠彦 (ひろつぐ・ただひこ)
  〔市議会〕

  
経済常任委員会(副委員長)
  
総合交通対策特別委員会(委員)
  議会活性化推進会議(委員)

  大分県後期高齢者医療広域連合議会議員
1 6期目当選で思うこと
 20年間、議員活動をしてきて、どれだけお役にたてたかと思います。
 「提案し、行動する」が日本共産党のキャッチフレーズです。「言うだけでなく、言ったことは実践する」ことが大事だと思います。「提案し、行動する」を自らのキャッチフレーズにして、活動していきたいと思います。
2 市議会議員になろうと決心したきっかけは?
 学生時代、人生と未来に悶々としているとき、日本共産党のあり方と未来社会像に共感して入党しました。どの分野で仕事をしても、自分の幸せだけでなく、みんなの暮らしがよくなるような社会にしたいと思っていました。
 卒業後、縁あって業者運動に身をおき、その後青年運動にたずさわっていました。青年運動を卒業し、どの分野にすすむかが問われようとしていたとき、立候補の要請を受けました。自分の求める社会を、議員という立場から取り組むことも1つの方法だと思い決意しました。
 当時つれあいから「あんたにゃできん」と言われたことを、いまも思い出します。それだけに「できる」ようになろうと努力しています。
3 議員生活の中で印象に残っていることは?
 議会での質問でのことです。
 1つは、初当選直後の一般質問です。準備はしたつもりでしたが、やはりあがって、言いたいことが10分の1も言えませんでした。
 2つは、2012年9月議会で、前からヤジが飛んできたことです。議員席側からはよくあることですが、前からは初めてです。私の質問がいやだったのかな。
4 議員として活動する上でのモットーは?
 市政にたいして必要な批判はしますが、反対のための反対は絶対しません。積極的に提案するように心がけています。
 当然ですが、他党派の提案でも、市民生活に有効な提案には賛成します。ただ、こちらが提案したとき反対していたのに、その案件が実現すると「自分たちがやった」というのにはビックリしますね。
 いろいろな要望を受け、実現に努力しています。そのとき個人や一地域の問題としても、全市的に必要な対策ではないかということも検討しています。
5 自分の性格の自己分析は?
 問題意識のあることには集中します。とりかかりは遅いと思います。これは変えなければと、いつも思っています。
 ほかの人と比べることは、あまり好きではありません。
 よく「きちんとしている」「きれい好き」などといわれます。小さいときから、家事を手伝わされたからでしょうか。「きちんと整理されたテーブルの上に、無造作におかれたリモコン」という状況が好きです。
6 小さい時はどんな子どもだったのですか?

 めだたない子どもでした。おとなが話しているとき、そばにいても気づかれず「そこにいたの?」と、よく言われていました。
 祖父母たちが別居していたため、父母と兄2人との暮らしでした。農作業の役に立たない私は、ほうきで掃除、川で洗濯、マキで風呂焚き、七輪(しちりん)でお湯沸しなど、家事手伝いが仕事でした。
 水道がなかったため、風呂の水は川まで汲みに行っていました。重たかったです。水道が通ったとき、感動しました。
 そうそう、ごはんもマキで炊いていましたが、ガス釜になったとき、スイッチが切れるまで見ていたことを思い出します。
 「昔話」の世界ではなく、本当にやっていたんですよ。

7 あなたの趣味は?
 土いじりをしていると気持ちがやすまります。
 何も聞かずに、もくもくと1人で歩くこと。自宅から蒲江まで歩きました。もう少しで県境を越えます。
8 最近の映画や本で感動したものは?
 映画は観ていないですね。観ていても残っていないのかも。以前にも書きましたが、『日本の青空』をみて、平和な暮らしは私たちの日々の努力のうえにあると思いました。『ホテル・ルワンダ』を観たとき、ユダヤ人を救った杉原千畝大使を思い出しました。
 本では、藤沢周平の文庫本は「読破」し、宮部みゆきと畠中恵にはまっています。宮部みゆきの『模倣犯』『火車』はなんともいえません。2人の時代物もおもしろく、リラックスタイムにしています。
9 あなたにとって家族とは?
 お互いが成長しあうところでしょうか。なくてはならないけれど、日頃はありがたみを感じない関係ですね。
 子ども3人とも成人したので、自分の行動に責任をとることだけは話しています。つれあいの行動には口をはさまず、自由にしていただいています。私もいろいろ言われたくない性格ですので。
10 あなたにとって日本共産党は?
 学生時代、まよい悩んだとき、回答を与えてくれた政党です。
 党の歴史が示すように、つねに自己分析をしながら、成長してきた政党だと思います。だからこそ、いまもその一員として活動しています。
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