小手川恵は、1956年(昭和31年)、国東町の農家の次女として生まれました。祖父母、両親はじめ、母方の叔母も加えて一家10人の大家族でした。厳しい生活の中で、恵は幼いころから田んぼや家の仕事を手伝いました。
「体を動かすことは、一つも苦になりません」
恵の行動力は、このころから養われたようです。
恵は高校では軟式テニスのインターハイに出場したほどの活発な少女でした。また、読書にも親しみ、住井すゑの「橋のない川」や、三浦綾子の「塩狩峠」などを読む中で、自分も少しでも世の中に役立つ人間になりたい、という思いを強め、高校卒業が近づくと、大学に進学して、社会福祉を勉強できたらという思いを抱くようになりました。しかし、農業だけでやっとの生活をしていた両親には、恵の夢をかなえる力はありませんでした。
こんなとき、祖父の信義は、
「おまえがそんなに勉強したいのなら、わしが応援してあげよう」
と、広島まで出稼ぎに行くことになりました。祖父67歳の時です。
祖父はその言葉の通り、盆、暮れには、まとまったお金を送金してくれました。この祖父に支えられて、京都華頂短大社会福祉科に進学した恵は、勉強のかたわら、夏休みには自分でも老人ホームで働き、お年寄りの置かれている悲惨な状況を体験しながら、社会福祉への情熱をますます強めていきました。
恵は卒業後、大分市立旧津留保育所の保育士として、4年間勤務。その後12年あまり、児童養護施設「わかば園」で、家庭を失った子どもたちと過ごしました。この貴重な時間は
「子どもたちの環境を少しでも改善しなければ」
という、恵の議員活動の原点になりました。
「市民のみなさんの声と、運動こそが、政治を動かす力」
「一緒に汗を流すのが議員の仕事」
このことをモットーにひたすら活動してきた12年でした。この間、子育て環境の改善、まちづくり、環境問題など、さまざまな分野で、多くの住民のみなさんとの交流の輪を広げてきたことは、私にとってかけがえのない宝物です。
ますます深刻になっていく政治や社会のゆがみに立ち向かい、すべての人が人間らしく生きていける社会をめざして、4期目も引き続き、みなさんとともに力をつくします。
祖父母に対して何かお礼をしたいと考えていた私は、就職後一年間のお金を貯めて、三泊四日の山陰の旅を計画しました。つきそいに叔母も連れて、総勢4人の旅になりました。
祖父母は本当に喜んでくれましたが、それにもまして両親が、
「恵の気持ちがありがたい」
と大喜びしてくれた忘れられません。
その祖父母も5年前に亡くなりました。