小手川めぐみ
 
   ようこそ、小手川めぐみのホームページへ。
   5月からホームページ開設の準備を始めました。
   「自分のページのウリをなにかひとつ」
   とアドバイスを受けたので
   「私、日記を書きます」と即答。
   「写真があったほうがいいですよ」
   とのことなので、デジカメもってうろうろすることにしました。
   気軽に、楽しく更新していきます。よろしくおつきあいくださいね。

2007年4月28日(土)
後援会の「おつかれさん会」

 津留・舞鶴後援会合同の「おつかれさん会」は、30人を超える方が参加した。それぞれが選挙の思い出を語り、堤栄三さんの議席奪還を喜びあった。
 地元後援会ががんばってこその勝利だったと、自分達の活動を誇らしげに語る顔はどれも自信と喜びでいっぱいだった。

 さて、先日「命がけで産んだダウン症の娘との毎日」のタイトルで書かれた大平光代弁護士の記事が読みたくて「婦人公論」の5月7日号を手にした。と、その号に俳優の三國連太郎さんの「僕の芝居はだれにも継承できない」という記事もあった。
 反戦思想だった父親のこと、仕事に対する姿勢など興味深い内容が続き、最後に溺愛する孫を見ていると彼らが将来戦争にまきこまれることがないように・・・9条を守ってほしい。平和な時代が続きますように・・と84歳のメッセージをしめくくっていた。

 堂々とした主張に拍手をおくったが、4月29日付けのしんぶん赤旗日曜版のトップページは三國連太郎さんの「9条の伝言」で、これもまた興味深い記事だった。

2007年4月24日(火)
次男の住む宮崎へ

 今日は、43年ぶりとなる全国いっせい学力テストが実施された。120億円ものお金(税金)が投入され、ベネッセやNTTデータが採点。生活実態・教育環境についてのアンケートがあり、実名が記載されるため、個人情報が国や企業に全面公開されることになる。

 こんな事実をどれだけの親達が知っているのだろうか?
 新日本婦人の会大分支部が2度市教委に1度県教委にテストの中止や答案用紙の無記名を申し入れている。が、大分では記名式で実施をした。絶対に中止をさせないといけない子どもの教育をゆがめてしまう制度だと思う。

 いっせい地方選の後半戦を終えて、23日月曜日、午前中の生活相談や集金を一段落つけて、午後、宮崎行きの電車に飛び乗った。次男のところへ用事があって出かけた。
 1ヶ月以上なかった休みを久々にとったともいえる宮崎行きだった。

 今日は、なんと、宮崎県庁に行ってきた。東国原知事フィーバーを実感するためだ。
 重々しい庁舎の入り口には知事の等身大のパネルが出迎え。守衛さんも慣れたもの。
「シャッター押しますよ」「物産館にいけば知事のキャラクターシールのはったお土産がありますよ」「一日で150人くらいは見物に来ますよ」・・・。

 しぶしぶついてきた息子も「結構楽しめた」らしい。夜帰宅。ゆっくり大人の会話を楽しめるようになった息子と過ごした時間は楽しかったし、リフレッシュできたかな?

 さあ、また明日から忙しい日々に突入だ!

2007年4月12日(木)
哲二の命日

 昨夜は堤栄三さんの勝利報告集会。200人を超す方々が参加し、勝利を祝った。どの顔も満面の笑顔。
 当選証書と議員バッチをもってあいさつをした堤さんは「このバッチはみなさんの物です」・・と。そのバッチを10日間、伴走カーに乗って共に選挙を戦った、堤さんの息子さんがはにかみながらもつけてあげ、皆からの暖かい拍手につつまれた。

 今日午前は、小学校の入学式。11時から支部長会議を開き、後半戦の選挙の支援体制のお願いをする。
 午後は総務常任委員会の管内視察をすませ5時前に帰宅。
 友達からのお供え物が玄関にそっと置かれてあった。夕方5時半頃から、哲二の職場の方々が何人もお参りに来てくださった。哲二の後をついだT専務は、この1年間の医療生協の歩みと思いを手紙にしたためて来て下さった。哲二の前で読んでいただき、涙が出た。選挙で忙しさに追われ、カチカチに固まっていた心が涙と共にほぐされた気がする。
 10時過ぎには、県外に住むN夫妻からも電話があった。みなさん、ありがとうございました。

 市長選挙について、今回は立候補者をたてないことを11日、表明した。同じ日に自民党は立候補断念を発表した。わが党の見解は議員団、トップページにあるのでご覧いただきたい。(ここから
 2月に「釘宮市政についての意見を聞く会」を開催し、その後、議員団としての市政評価も深めてきた、その結果だ。しかし、市政に対するスタンスはいままでとは何ら変わりない。

2007年4月10日(火)
いよいよ後半戦スタート

4月10日(火曜日)

 午前中、ぼっさぼさの髪を切りに美容院へ。うとうとと居眠り・・・。「支持拡大が遅れている!どうしよう!!」とあせっている夢をみる。はっと目覚めて「ああ、選挙終わったんだ」

 昨日から今日にかけて、会う人ごとに「堤さんよかったですねぇ」と言ってもらえホントにうれしい。でも、やっぱり加藤純子さんの議席を失ったのが残念でならない。貴重な女性議員の議席、一人になったこの4年間、一生懸命がんばる彼女の姿を見てきただけに残念でならない。

 15日から別府では市議選が始まる。そして、大分県下で後半戦がいくつもの自治体でたたかわれる。がんばろう!がんばりたい!

2007年4月9日(月)
堤栄三さん議席回復!

 投票日の8日深夜、堤栄三さんの議席復活が決定した。
 現職を押しのけなければ当選しない、むずかしい選挙だった。告示後、気にかかることが多く、眠れない日が続いた。元野津原町議のかわのひろこさんも、「もう、毎晩眠れんわー!」と叫んでいたので、みんな同じ思いで選挙をたたかっていたんだと思う。

 投票日、「ここまでやって、これで落ちたんなら仕方がないな」と思わず口をついて出たほど、私のまわりの党員さんや後援会員さんにはやるべきことをやり尽くしていただいた。特に、活動地域に責任を持つ支部長さんの献身的ながんばりには頭が下がる。
 選挙後半、支持してくれた方が、一人二人と、周りに広げて下さっており、手ごたえを感じていた。結果的には、12,936票、前回より1,780票増やして9位での当選だった。

 今日は、朝8時、定時定点の街頭宣伝。堤さん、知事候補の三重野さんと3人であいさつ。その後事務所周辺へ、選挙中車の出入りなどお騒がせし、ご迷惑をかけたことなどごあいさつ。みなさん、「よかったですねぇ」と当選を喜んでくださった。ただ、別府の加藤純子さんの三選を果たせなかったのが残念、喜びも半分だ。大分市で守った一議席で4年間がんばるしかない。堤さんの責任は重い。

 選挙告示前日、しんぶん赤旗への投稿をしたが、それが4月1日に掲載された。読んだ何人もの方から声をかけていただいた。
 夫の知人から手紙をいただいたり、県外に住む友人からメールをもらったりして、励まされた。

 また、告示日の3月30日は私の51歳の誕生日だった。2人の息子からは手紙が添えられたプレゼントが届いた。長男からは入浴グッズとのど飴が。
 朝、一人分のコーヒーを入れるのをめんどくさがってインスタントにかえたのに気づいた次男からは、一人用のコーヒーメーカーが・・・。
 2人とも「がんばりすぎんように・・・」という言葉が共通していた。母の気性をよく知っているナ(笑)

2007年3月29日(木)
明日は県議選の告示

 さあ、明日が、県議選の告示です。大分市では、4年前418票の僅差で議席を失った堤栄三さんの議席を取り戻す選挙。別府市では加藤純子さんの三選を勝ち取る選挙。

 どちらもとてもきびしい戦いだけれど、県議会の唯一の野党の議席を2つにするためにふんばる選挙です。
 「命とくらし」のかかった選挙です。
 政治に「福祉の心」をとりもどす戦いでもあります。
 私にとっては、夫、哲二が「今度は堤さんを当選させんとなあ」と言っていたその思いを実現する選挙戦です。


 党員や後援会のみなさんと心を一つにがんばります!!!

2007年3月26日(月)
市営住宅の指定管理者が・・!

 公共の仕事を民間に開放を!の掛け声で導入された指定管理者制度。大分市でもいくつか導入されてきている。

 私たち共産党市議団が導入に強く反対したのが、一部の市営住宅の管理を民間業者にまかせる指定管理者制度だ。入居者の個人情報が民間業者にまるみえだし、軽微な修繕の委託などの公平性が保てるのか・・いろいろな問題があったので反対した。

 今日の地元紙の夕刊に「T建設再生手続き」の文字が・・・!
 大分市が指定管理者として指定したT興産は、まさにT建設と一体の会社だ。早速、住宅課に電話をして今後の対応をたずねた。

 市の説明では、T興産を3月末で指定を解除し、しばらく大分市が従来どおり、市営住宅を管理するそうだ。つまり契約期間の3年の内2年を残して契約打ち切りということらしい。
 選定や制度の移行などにかかった経費と労力を考えれば、指定管理者を導入してかえって時間とお金のロスが大きいのではないかと思うが・・・。

 さらに、応募してきた民間業者のなかで、評価の点数は、T興産と大分県住宅供給公社が同点で1位だった。ところが、選定委員会が、T興産を選んだと説明を受けた。「なぜか?」と聞いたが、担当課は「選定委員会の決定ですので理由はわからない」と答えた経緯がある。どんな力が働いたのだろうか?と疑問を持つのは私だけだろうか?

 まだまだ他にも問題があるのではないかといろいろ考えているところ。選挙で忙しいが調査が必要ではないかと思っている。
 今回の件は、労働組合や民間研究機関、そしてわが党の指摘してきた懸念事項が大分市で発生したということだ。

2007年3月23日(金)
津留小学校卒業式

 例年議会中のために、出席できない小学校の卒業式。4年に1回だけ、市長選のある年だけ、議会が早く閉会するために出席できる。うたごえにつつまれたすてきな式だった。

 卒業生や在校生が歌うのはもちろん、先生、そして、保護者も歌う。先生のうたごえは、子ども達をつつみ込むように、あたたかかくてやわらかな歌声だった。

「あの大空が むかえる朝 巣立ちゆく 白い鳥 風をうけて 光る おめでとう おめでとう すばらしい日だね 翼広げた姿 目にしみる・・・」

 そのうたごえを聞きながら涙が出てしまった。日の丸・君が代の押し付けの中、対面式の授与式(写真がうまく撮れずに残念!)。
 管理でがんじがらめにされつつある中、子ども達一人ひとりの思いを大切にした教育をすすめたいという教育者としての想いが1年間の行事の中にも、「卒業のしおり」の中にも込められていた。

 4月には文部科学省の全国一斉学力テストが強行され、全国のこどもや学校の序列化が始まる。一人一人の子ども達を点数で比べるのではなく、人格の形成を教育の基本にすえることを大切にすることにこだわる教師達が全国に無数にいるはずだ。改悪教育基本法をはね返す力を多くの関係者とともに大きくしたい、なによりも子ども達のために・・・。

2007年3月22日(木)
知事選告示

 知事選の火蓋がきって落とされた。大分は現職の広瀬勝貞氏とわが党候補者の一騎打ちだ。大分駅前の出発式には、100人を超す方が集まった。わが党候補者の訴えは圧巻だった。

 赤嶺政賢衆院議員が、19日キャンノンの視察の報告をしたが、えっと驚く内容。ここで書くよりも、視察に同行した参院比例予定候補の春名なおあきさんのホームページのブログをご覧くださいね。(ここから

 大学に行っている息子が帰省しているが、ほとんどすれ違い状態。母が家にいないので友達と遊びまくっている。夕食も一緒には食べることがない。せめて手料理を食べさせたいと夜遅く帰ってからか、朝食事を準備して出かけることにしている。魚のあらの煮付け、サトイモとイカの煮付け、肉じゃがなど煮物系統ばかりだが・・・。
 今日は家に帰り、昼ごはんを一緒に食べた。「帰って来てから2人で家で食事するの、初めてやな」と言いながら。
 彼が大学に戻るまで一晩くらいは食事をしたいものです。・・・と言ってもあと3日くらいしか残されていないが・・・。
(写真は赤嶺政賢衆院議員の訴えとタンポポの穂綿)

2007年3月19日(月)
哲二の湯布院

 17日に少し早い哲二の一周忌の法要を終えた。
 帰省をした息子達と、哲二が退院したら行く予定だった湯布院に18日に泊まりに行き、今朝、湯布院から議会閉会に間に合うように電車に乗った。息子達とのたわいもないおしゃべりは、忙しい中のしばしの休息にもなった。

 この3月議会から、所属委員会が変わり、私は、総務常任委員会に入った。歳入全般の審議、議会、総務、税関係、消防などの分野を審議する委員会だ。2期目のときに2年間所属していた委員会であり、また一から勉強と研究をさせてもらうつもり。

 委員会の中で、昨年12月議会で市営住宅の敷金の運用についての提案をしていた件で、その後の経過をたずねた。市営住宅の敷金は3億円あまりあるが、市が預かり金として普通預金に入れたいたため、ほとんど利息がついていなかった。国債や定期預金での運用を行い、利息を市営住宅の集会所の改善やシャワー設置などの改善に使ってはどうかと提案していた。

 この3月から2億5千万円を国債で運用し、定期預金に4千万円預けたそうである。国債は2年間で約375万円の利息、定期預金は1年で12万の利息がつくという。目に見える形で還元をしてもらいたいものだ。(写真は湯布院駅の梅と錦鱗湖のスナップ)

2007年3月15日(木)
哲二の誕生日

 今日は哲二の誕生日。生きていれば49歳になる。元気な頃は、全く甘いものに手を出さなかったが、病気になってから、結構食べるようになった。今日は、彼が好きだったケーキやさんで、ケーキを買い、コーヒーを入れて供えた。
 議会が終わった後、3時から支部長さんの会議を招集していたので、同じお店で買った「プチうふ」をみんなで食べて祝ってもらった。

 昨年の今日、私は、議会の代表質問を終えて、調子の悪くなった膀胱ろうの手術を翌日に控えた哲二の病室を見舞った。一緒にケーキを食べた。
 その頃つくった季語のない俳句がいくつかある。稚拙だけれども、思い切って2首だけ披露する。
「笑わねば 涙こぼるる がん末期」
「術前夜 肩の薄さに 病見る」

 15日哲二誕生日、30日私の誕生日、桜、暖かい春の風、春のにおい・・・すべてが昨年の哲二と過ごした時間と空間につながり、ちょっと精神的にしんどい3月でもある。

 その思いを封じ込めて県議選をたたかっているが、楽しんでいるように見えるのだろうか?
 少し前になるが、「一人で気楽でいいなあ」「一人になりたかったんじゃない?」などと、冗談にしても言われた時はショックでしばらく落ち込んでしまった・・・。

2007年3月10日(土)
街頭演説で出会った人・・・

 議会中だが今日、明日は街頭宣伝に専念するようにしている。午前はAさんと、午後はいつも宣伝に付き合ってくれるNさんと、先日アナウンサー学校に参加し、4月のいっせい地方選挙でアナウンサーデビューする21歳のHさんと3人で宣伝に出た。
 Hさんは、まだまだ練習が必要だけれど、一生懸命がんばる姿はほほえましい。若い人の声は文句なくいいなあ!

 雨がぱらつく中、生活相談にのった方から声をかけられたり、がんばってと声をかけられたりうれしい出会いもたくさん。
 何よりうれしかったのは滝尾でTさんが声をかけてくださったことだ。Tさんは、哲二がケースワーカーをしていたときにかかわり断酒をした方だ。
 アルコールを絶つために熊本の菊陽病院に入院するとき哲二が大分駅まで見送ってくれたこと。退院してからは、毎日夕方になると、「Tさん、どうしてる?」と家に来て上がり口に座り話をしてくれたその顔が忘れられないと言う。
 亡くなったのが信じられないと悲しみをこらえた顔で話された。Tさんに、哲二が心残りだったのは堤さんの県議選だったことを話し、支持をお願いした。どこに引っ越したかわからなかったTさんに会わせてくれたのは哲二だろう。

 夜は党と後援会の決起集会。投票日まで残り1ヶ月を切った。必死でがんばりなんとしても堤栄三さんの議席を回復しようと誓い合った。

2007年3月8日(木)
原稿の仕上げの日です!

 今日は、一日自宅でパソコンに向かったり、資料に目を通したりウロウロ歩き回ったりの、原稿の仕上げの日。お客様が来られても玄関で帰っていただかなければならない部屋になっている。
 今回は環境問題に重点を置いた質問の組み立てをしている。質問の日は、3月13日の5番目、たぶん、午後1時半ごろになるだろう。お時間があったら是非傍聴にお越しください。

 さて、3月議会は通常新年度予算案が上程されるが、今回は市長選の前なので骨格予算となった。
 が、それでも一歩前進の新規事業が一つ。放課後児童育成クラブに障がい児受け入れ加算の予算が計上されたことだ。
 1人以上障がい児がいれば、年額687,000円(月額57,250円)の補助金を出し、指導員を配置できるようになった。私がこの問題を初めて、取り上げたのは、平成15年9月議会だった。16年、18年と2度の代表質問でも要求してきたもの。とりあえず良かった!

 昨夜、「小手川さん、今日OBSでなんか、共産党だけが受け取っちょらんとかいいよったけど、ありゃなんな?」と問い合わせの電話。2月28日までに回答を寄せてほしいと地元テレビ局報道部から、費用弁償に関するアンケートが全議員に来ていたが、その結果を報道したのだろう。1日議会にでると、7,000円の日当がでること。その廃止を求めて05年6月議会に共産党が議案を提案したが44対4で否決されたこと。それ以降共産党の4人は受け取っていないことなどをお伝えした。「そげんことは、もっとみんなに知らせにゃあ!」と叱咤激励を受けた。(費用弁償の件については こちら を)

2007年3月5日(月)
議会が開会しないんです!!
 10時40分、控室で日記を書いている。今日は議会の開会日。
 10時開会で召集されたのに、11時になろうかというのに、まだ開会しない。議長・副議長選挙で、もめている。代表者会議が開かれ、副議長の公明党が辞表を提出しないことが報告された。実は、議長も副議長も任期は4年だが慣例で2年で、辞表が提出され、3月議会で議長・副議長選挙が行なわれることになっている。その慣例を破るらしい。
 代表者会議にでた、大久保議員が「副議長に公明党を推した会派で説得をするように」と意見を述べてまたひたすら待つことになった。わが会派の4人は、その間に質問のための調査に大忙し!(写真は執行部に説明を受ける大久保団長)本会議開会まで、時間を追って書くことにする。(ここまで11時03分)

 12時過ぎ、昼食を食べ始めた大久保議員に「今から代表者会議を始めます」と議事課の職員。控室ロビーにはマスコミや部長たちの開会を待つ姿が・・・。
 公明党は辞表を出さず、自民や社民もそれについてはおかまいなしということに落ち着いたらしい。つまり、議長は辞表を出し、議長選がおこなわれるが、副議長はそのままということらしい。裏の事情はいろいろあるらしいが・・・。実に2時間半遅れの1時35分やっと本会議が開会することに・・・。(ここまで1時30分)

 議長選は、三浦由紀(自民)36票、大久保八太(共産)4票、井手口良一(おおいた市政クラブ)4票、長田教雄(自民)2票、無効票2票だった。
 議長選が終わり、市長の提案理由説明と続き、2時半頃、本会議終了。それから、議案や予算の説明を受けるが5時に終わらず、明日また9時から続きをする。さあ、今からは質問原稿の準備です!(6時、自宅にて)
2007年3月3日(土)
卒業記念品

 私は、議員3期目は4年間文教常任委員会に所属した。所属してすぐ、委員会で取り上げたのが、教育委員会が中学校の卒業生に渡す卒業記念品だ。
 わかば園で働いていた頃、記念品がずっと丸型の「文鎮」だった。子どもたちは園を出るときには置いて行くので、園には文鎮がごろごろ転がっていた。今、23歳の息子の卒業のときもやはり文鎮だった。
 「20年以上続く記念品の見直し」を委員会で要求した。なににするかは、学校現場の意見を集約して決定するよう求め、その結果、「印鑑」に変更された。そのため、今20歳の下の息子の卒業記念品は印鑑をいただいた。「印鑑は使い方が重要。できれば、消費者教育をしてほしい」と要望しておいたが、それは実施されているだろうか?

2007年3月2日(金)
中学校卒業式

 地元城東中学校の卒業式に来賓として参加。毎年、生徒たちの答辞や歌に心があたたかくなり、じわっと涙ぐんでしまう日だ。そして、やっぱり子どもは純粋でまっすぐだ!と改めて思う日でもある。
 来年4月から大分市は市内中心部で学校選択制が試行され、2年後には、全地域で導入予定だ。同時に、来年から、文部科学省主催の中3と小6に学力テストが導入される。そのテストはベネッセとNTTデーターに委託される。(子どもたちの個人情報は筒抜けだ)
 大分県が数年前から中2と小5で実施している学力テストも引き続き続けられることになっている。学校選択制と学力テストが絡み合い、子どもたちは否応なくこれまで以上に競争にかりたてられることになると気づいた親や教師、関係者が「学校選択制を考える会」をつくり運動をすすめている。
 新日本婦人の会大分支部は先日学力テストに参加しないよう申し入れをおこなった。この取り組みと運動が、目の前の制服を着た子どもたちと重なった。子どもたちの思い出は、すべて、友だちや下級生と協力し体育祭や文化祭を成功させたことだ。泣きながら訴え、みんなに分かってもらえ心が通じたときの喜びが語られ、合唱コンクールでクラスで一番の歌声をつくりあげることができた事など・・・
 感動する心が子どもたちを成長させる。友だちと力を合わせ一つのことをやり遂げる喜びが子どもたちを大人にしていく。どこの学校に行こうと同じ感動や喜びが子どもたちを包む義務教育であらねばならないと思う。(写真は卒業式の後、合唱する卒業生)

2007年3月1日(木)
3・1ビキニデーによせて

 今日は防災の日ということで、市役所では大がかりな防災訓練が行われていた。
 私にとっての3月1日は「3・1ビキニデー」だ。
 静岡市では今年も集会が開かれ900人が参加しているが、報道の扱いは小さい。一面トップで報じているのは「しんぶん赤旗」だ。
 「広島・長崎・ビキニを忘れない」・・・
 今年に入って、「この物語を忘れられるのをじっと待っている人たちがいる。」と帯封がつけられた絵本「ここが家だ・ベン・シャ―ンの第五福竜丸」を買い求め読んだ。
 絵本は物事の本質を実に短い言葉でいいあらわす。絵が語りかける。この本で、「目からうろこ」の事実が一つ。
 アメリカは極秘でマーシャル諸島で水爆の実験をした。たまたまマグロ延縄漁をしていた第五福竜丸の乗り組員が被爆した。アメリカの軍事機密に偶然遭遇した乗組員がなぜ、アメリカ軍の標的になることなく、逃げ帰れたのか?
 それは、久保山愛吉さんが、「無線を打つとアメリカ軍に場所を探知され標的になる。無線を打たず、焼津まで帰る」と判断し、航海をしたから。

 このビキニでの被爆をきっかけに日本に原水爆禁止の運動が起き、今でも世界中から核兵器をなくそうの運動は続いている。

 絵本は時に、1冊の分厚い本よりも真実を語ってくれる。この本がそうだし、20年ほど前に買い求め、子どもに読み聞かせた「とびうおのぼうやはびょうきです」も忘れられない3・1ビキニデーを伝える絵本だ。(写真は絵本「ここが家だ」とそのホームーページ)

2007年2月25日(日)
久しぶりの日記です
 「最近、書いていないね」「『それでもボクはやっていない』を観に行くって言ってたけど、なにも書いていないからあんまり良くなかったのかなって思ってたんだけど・・」今日は、先日豊後高田市議選でトップ当選した大石議員から「お元気ですか?日記が更新されないので気になっていました・・・」とメールが・・・。しばらく、お休みしていましたが、今日からまた再開します。

 「それでもボクは・・・」はラブロマンスでもないしサスペンスでもないが、ぐいぐいと引き込まれ、あっという間の2時間余りでした。冤罪って警察がつくっていくもんなんだなということがしっかりわかったし、裁判のことがリアルに描かれていたし、とにかく、「みんな観るべし!」と思った映画。大石さんを重ね合わせて観た映画でもありました。

 19日月曜日は、佐賀関町議を2年務めた山野喜代子さんの夫のお別れの会だった。彼女の夫もガンと闘い、逝った。ずっと夫に寄り添い闘病を支え見送った彼女は最後まで気丈だった。私の夫哲二のお別れの会に来てから、彼の「自分の死後の準備」が始まったと聞いていた。自分で会場を決め、葬祭場の方と打ち合わせをし、飾るお花、流す音楽、会に参列してもらう人まで決めていた。圧巻だったのは、会場に掲示された、写真。すべて自分で選び、彼の言葉でメッセージが書かれてあった。・・・なんという精神力。彼女は最後あいさつの中で、彼の闘病を語り、彼がしたためていた参列者のみなさんへのメッセージを読み上げて会を締めくくった。

 実は、県議選に没頭し、哲二のことは深く想わないように知らず知らずのうちに心にフタをしていたが、「お別れ会」に参列しナーバスになる日が続いたのも事実です。

(写真は山野茂利さんお別れの会です)
2007年1月29日(月)
女性を「子どもを産む機械」とは!

 今日は一日、しんぶん赤旗の集金で地域を回る日。
 途中、携帯に電話が入った。

 「小手川さん、女性を子どもを生む機械あつかいした柳沢厚労大臣に抗議したいんですけど、抗議先知りません?」

 あわてて赤嶺衆院議員の事務所にお願いをして、調べて頂いた。忙しいのに秘書の方がすぐ動いて調べて下さった。
 抗議先のファックス番号を連絡すると、「忙しいのにすみません」と恐縮され、「小手川さんは、もう抗議されました?」と聞かれた。
 そうなんですよね。「頭にくるよねぇ、許せん!!」と周りの人と話はしても個人で、直接抗議はなかなかしないものです。彼女は「やっぱり、女性蔑視の言動に対して、直接抗議をすることが大事だし、こんなことは許されないという意思表示が何よりも必要。たった一人でもそれはやらないといけないと思う」と言う。

 そのとおりです。行動をすぐに起こさなきゃいけないっていうことを教えられました。そこで、抗議先ファックスは大臣官房室総務課 03−3595−2392です。女性に限らずとも、おかしい!と思った方は、抗議の意思表示をしましょうヨ!!

2007年1月28日(日)
子どものからだと心の危機

 今日は、NPO法人大分子ども劇場主催の「子どものからだと心の危機〜危機を希望にする知恵〜」の講演会に参加。講師は正木健雄日本体育大学名誉教授。会場いっぱいの若いおかあさん、なかにはお父さんの姿も・・・。
 私たちの国は教育ということにヘンに熱心だけれど、育てる、育むということをもっと大事にしなければいけないと思うし、大事なことがないがしろにされているから、あちこちで子どもの育ちにひずみが出ているのではないか?

 3歳までに汗をかいたり寒さをがまんしたりということを経験しなければ、体温調節機能が発達しないこと、汗をかく体験不足で「能動汗腺」が発達しないこと、昔の人は生まれてすぐ、赤ちゃんの唇が紫色になるまでほうって置いて、紫色になったらすぐ布で包んで温かくしてやった・・・その経験が途絶えていること。電磁波や有機リン酸系殺虫剤がこどものからだの不調の原因になっていることが明かになってきていることなどなど・・・。子どもの遊びが何よりも今の子どもたちにとって大切なこと(大脳・前頭葉の発達のために)が強調された。

 私は子育ては終わっているけれど、大切な知識を議員としていただいたと思う。こんな大切な講演会を計画した子ども劇場の取り組みに頭が下がる。

 昨日骨髄バンクからはがきが来た。私が骨髄バンクに登録した頃(10数年前)は、年齢制限が51歳だったものが54歳までのびたらしい。3月で51歳になるので登録の延長伺いのはがきだった。もちろん、了承のサインをしてポストに投函した。

2007年1月25日(木)
世論をつくるチャンス

 本日11時から議会改革の申し入れ。(内容や資料は議員団のトップページをご覧ください)
 「みのもんたの朝ズバッ!」で、政務調査費問題をとりあげているためか、テレビはOBSが取材に入った。政務調査費の領収書公開のことと費用弁償の問題について短時間だったがポイントを押さえて報道されていた。議会の世論をつくるのは市民のみなさんの後押しがあってこそ・・・です。報道は世論を形成する大切なチャンスです。

 議員団会議で釘宮市政の分析をおこなっている。今日は、市政懇談会に参加された方からのご意見を取り入れ、現在の分析の状況をお伝えするとともに、様々な団体や個人から「釘宮市政についてご意見を聞く会」を開くことを決めた。
 2月9日夜6時半、開催する。詳しくは近日中に議員団のトップページにアップする。午後は急きょ、そのご案内文書やチラシの作成に追われた。

 帰り道、文化会館の庭に梅の花が開花していた。春が近いなあとデジカメでパチリ!明日は、久々の休み。歯医者に行って、掃除をして、買い物をして・・・忙しくのんびりしましょう!!

2007年1月24日(水)
議会改革の促進を求める申し入れ
 明日は、議会改革の促進を求める申し入れを市議団でおこなう。昨年秋、議会と議長交際費の情報公開を行った。12月には、その後の交際費と新たに副議長の交際費の情報公開。5〜6年前になるが、国会議員や県議会議員のパーティー券の購入費がでてきた。もっと前になると、副議長交際費で別府の市議選当選祝い挟間町議選の当選祝いに酒を送った領収書など。交際費の厳格な使途とネット上の情報開示を求める。

 議会に出席すると、議員は1日7000円の費用弁償を受け取ることができる。わが党議員団は、費用弁償の受け取り辞退を一昨年6月から始めたが、4人の合計額は、昨年12月までで、実に220万5千円にのぼった。

 費用弁償の廃止などを求める。あとは、政務調査費の領収書公開にむけての議論を始めることなどを求める予定だ。

 今日は、いろいろな予定が入っている合間をぬって、明日の最終準備。実は昨夜するつもりが、資料が見つからずあわてた。今朝早くに市役所の控え室に探しに行くが見当たらない。「・・・どうしよう!?」また、家に帰って探し・・・ありました!!ほっと安心。

 10時から南津留世代間交流サロンの活動で、ごみ分別説明会に参加。その後医療生協の津留支部新春のつどい(写真)会議、そして夕方から、相談にのっている住民運動の打ち合わせ会議が終わり7時半頃家に帰り、パソコンにかじりつき、やっと終了。11時半です。
2007年1月22日(月)
地域を歩く

 本日夜7時からは生活相談が入っているので、夕方家に立ち寄り、ちょっとの間だがパソコンでこの原稿を書いている。

 今朝8時からは、堤さんとの地元交差点での街頭演説。その後、市の出先機関への新聞代の集金へ。10時前には地域へ後援会総会のご案内のために、Tさんのお宅へおじゃました。

 ご近所を20件ほどごあいさつを兼ねて後援会総会のご案内のため訪問する。
 あるお宅では、95歳のおばあちゃんが毎日つくっているという毛糸で編んだ食器洗いをもらった。

 本を見ながら編んでいるといううさぎと犬も頂いた。(写真)
 毛糸の食器洗いは、以前からずっと使っているし、大きめのは、お風呂洗いのために使っている。「毎日編んでいるからいっぱいあるのよ。使って」といわれ大喜びでたくさん頂いてきた。
 また、腰も曲がらずしゃんとした女性は、どう見ても70代後半にしか見えないのに、85歳だと聞いて驚いた。元気な高齢者に元気をもらいながらの訪問となった。

 地域を歩いていると、次々と相談や要望が寄せられる。午後は、その調査などのために市役所や国の機関へ出向き、あっという間に時間が過ぎた。

 短大時代の同級生は、私を入れて4人が市議会議員をしている。そのうちの一人からメールが入った。昨日が自分の選挙の投票日で、激戦だったけれど最後から2番目に滑り込み、全員当選したという。おめでとうのメールをおくった。よかったね、苗村活代さん!(京都・亀岡市市議会議員)

2007年1月21日(日)
堤さんの地元校区の演説会
 堤さんの地元校区の演説会。多くのみなさんにご参加いただき、いい会ができた。地元後援会のみなさんのがんばりに頭の下がる思いだ。

 「千の風になって」のCD売り上げが百数十位から一挙に1位になったという。紅白歌合戦で歌われてかららしい。私は、昨年哲二が亡くなった時に、児童養護施設で働いていた同僚からこのCDをいただいた。何度も何度も聞いて声をあげて泣いた事もある。泣くことで心が癒された。名曲だと思う。

(写真は地元後援会の演説会とCDのジャケット)
2007年1月20日(土)
市政懇談会と「押し上げよう会」

 午前中は市政懇談会。様々な行事が重なり、参加者が少ないのではと心配したが、30人ほど参加していただき、うれしかった。市政に対する様々なご意見、市長選に対する貴重なご意見をいただいた。

 夜は、「堤栄三さんを県議会に押し上げよう会」部屋の暖房を途中で消すほど?熱気あふれる会となった。堤さんは当初、会の半ばほどのところで会場に着くはずだったが、次々と集会が重なり、なんと夜の集会は5ヶ所。ここは最後になるので8時を過ぎると言われたが、なんとか8時までに着いて、みなさんにごあいさつが出来た。

(写真は市政懇談会の様子)

2007年1月19日(金)
歯科通院

 忙しいけれど、昨年から歯科通院が続いている。大分市が実施している歯周病健診の案内が昨年届いた。50歳の節目健診だ。議会で歯周病健診を実施するよう求めた立場から、これは受けないと・・・と思い、昨年秋、歯科に足を踏み入れた。

 歯科では、歯石がたまっており、取った方がいいと進められた。他に虫歯になりかけや、差し歯の取替えなど、思い切って治療を始めた。健診がいいきっかけになったと思っている。歯を大切にすることが健康づくりの第一歩だと思う。

2007年1月18日(木)
県議選、共産党の議席

 「忙しい!」の一言につきる日々を送っている。
 県議選は、もう、すぐそこ。4年前堤栄三さんは413票差で次点、涙をのんだ。今度は負けられない!とみんなの思いが一つになりつつある。

 自民党の支持者の方に、ごあいさつがてら、県政のことを話した。平松県政の20年間のうち、日本共産党の議席がなかった8年間、香りの森博物館がつくられ、ビーコンプラザ、ビッグアイ、農業文化公園などなど、今、県民が批判するたくさんの箱物がぞくぞくと造られたが、議会ではだれ一人として反対する議員がいなかったことを・・・。

 「小手川さん、その話みんなにするといい。やっぱりあなたんとこの議席は必要よ。私は今度応援したい人がいないから堤さん応援するよ」と力強い言葉をいただいた。

(写真は香りの森博物館と農業文化公園〈各HPより〉)

2007年1月8日(月)
今日は成人の日
 2007年、新しい年をどのようにお迎えでしょうか?
 今年は選挙の年。自民・公明の政治の力でつくりだされた格差社会が様々なひずみを生み出しています。国民に目をむけた政治を取り戻すために、今年も精一杯がんばります。今年もよろしくお願いします。

 元旦は、おなかの風邪でダウン。新年の街頭宣伝に出ることが出来なかった。大変な新年の幕開けである。
 昨日は、堤栄三さんの事務所開き。
 「入りきれないくらい集まってほしい」との願いどおり、100人をこえる人が集まり、用意した資料袋は全く足りず、うれしい悲鳴。「日本共産党は国民の命綱。その議席を県都で取り戻そう」「一票一揆を起こそう」「別府と大分の2議席確保を」と訴えがあり、堤さんも「石にかじりついても議席奪還したい」と力強い決意表明。


 事務所開きのあと、成人の日の式典(大分市は7日に開催)に参加するため、文化会館へ。式典が始まるまで、会場入り口で新婦人の方々と核兵器廃絶の署名活動に参加。新成人の方々が結構署名に応じてくれる。次男も20歳。友人と一緒に署名に応じてくれた。
 署名活動をしているすぐそばで談笑しながら、500ccの缶ビールを飲んでいる子達に「空き缶、捨てたらいけんよ!」と声をかけると「わかってまーす」と返事をするが、気がつくと空き缶3本しっかり道路に捨てていった。あーあと思いながら拾ったが・・・。こんな姿を見ると残念!

(写真はつつみ栄三さんの事務所開きにかけつけた支持者の方々と、つつみさんのあいさつ)